みやふきんの見聞録

見聞きしたり感じたものを記録するブログ

2021年夏以降のアート体験まとめ

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3月に最果タヒ展へ行ったあと、しばらく新型コロナウイルス流行で美術展やギャラリーへ行くことをやめていた。夏以降、少し流行が落ち着いたのであちこちへ出かけた。

それを備忘録としてまとめようと思う。

 

[行った展覧会一覧]

 

以下、それぞれを詳細に語る

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7月

上村松園展 京都市京セラ美術館

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前期後期に分かれていて、私は前期のそれも初日に見に行った。時間指定券を購入していて、電車遅延で遅れたが、入館できた。人はそれなりに多いが、絵の前でじっくり立ち止まって見る分には困らない程度。今までこんなに多くの松園作品を時系列で見たことがなかったので、その空気感や繊細さに心打たれる。特に印象に残った作品のポストカードをおみやげに買って帰った。特に「人生の花」の構図、作品の纏う静かな空気感が好き。

 

「上村松園」展が京都市京セラ美術館で - 近代京都画壇を代表する日本画家、約100点から探るその全貌 - ファッションプレス

 

ちこちこ小間ごと 山口晃展 ZENBI鍵善良房

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以前THEドラえもん展を見たときに知った画家。新聞での連載など、京都にゆかりのある作品の展示。とにかく作品数が多い。そしてクスッと笑えるようなユーモアのあるものもあって楽しかった。迫力がありつつも細やかな画風がいいなぁと思う。今年はパラリンピックのポスターも手掛けられていて、それで知った方も多いと思われる。鍵善良房という和菓子屋さんが作られたギャラリーで、入館の際にもらった干菓子が菊の形で美しくべらぼうに美味かった。

山口 晃 -ちこちこ小間ごと- – ZENBI | ZENBI -鍵善良房- KAGIZEN ART MUSEUM 公式ウェブサイト

「はぐれた落ち葉」三宅佑紀個展 KUNST ARZT 

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 小さなギャラリー。画家さんが在廊されていて、お話を少し聞いた。実物を目にしないとわからない描かれ方で、光の当たり具合や、見る角度によって見えたり見えなかったり、違うように見えた。ケント紙にパステルで重ねられた落ち葉。共有できる記憶を呼び出したいという作者の想いが、私のやりたいこととすごく似ていて、私もと口にしたかったけどなぜか出来なかった。

ただ、私の中には共有できる記憶がなかったかもしれないけれど、この場で感じたことは共有できる記憶になると思った。そこには、この場でしか感じられないことが確実にあった。

 

濱田菜々個展 ギャラリーギャラリー

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寿ビルという少し古いビルの中にある小さなギャラリー。窓が印象的。その空間に似合いすぎるテキスタイルインスタレーション。エアコンの風でゆらめくテキスタイルが、なんとも心地よくて、ずっと見ていたい、そこにいたいという空間だった。

 

9月

「よみがえる骨董たちvol.4」

ART HOUSEさんでの骨董展は過去に2回見ている。作家さんが骨董に細工して作品を作ったり、作品の中に骨董品の素材を活かして入れ込んだりされている企画展。骨董の食器も骨董品店の協力で販売されている。

私がいつも見ている作家さんが参加されていたので見に行く。

DMのビジュアルにもなっている藤本麻野子さんのお皿は本当に美しくて素敵だった。

 

「紅茶PACKEGE」

こちらも ART HOUSE企画展。作家さんが選んだ紅茶をイメージにしてデザインした正方形や長方形の缶。いろんなのがあっておもしろかった。中身の紅茶も香りが良くて美味。空缶は今は棚に飾っている。

 

「十感」堀としかず/hori個展

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お気に入りの画家さんのひとり。ART HOUSEさんでの個展は2年くらい前から見ている。

今回は10年前の作品を現在の画風で構築し直すという作品があった。10年前の作品も今の作品もどちらも素敵。私は今の作風に変わった時点からしか見てなかったので、新鮮だった。

 

10月

 フィンレイソン展  京都文化博物館

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家の壁紙を選んでいる時、カタログでフィンレイソンを知った。北欧のテキスタイルデザイン。その展覧会があると知り、楽しみにしていた。オンライン開催になった講演会もメールで申し込んで見ることができた。フィンレイソンという会社がどんなふうに発展してきたか、その歴史を知る機会となった。2社と合併してより強みを増したフィンレイソン。展示では歴史はもちろん、いろんなデザイナーのいろんなデザインを知ることができて、とても楽しかった。ミュージアムショップはおみやげをどれにするかとても悩んで長居してしまった。2021年1月10日まで京都文化博物館で開催し、そのあと展覧会は巡回するらしい。

フィンレイソン展 -【MBS】毎日放送

 

11月

「ひずみ」藤本麻野子個展 ART HOUSE

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ART HOUSEさんでの個展はなるべく見に行っているお気に入りの画家さん。今回はこれまでの作風をより変化させて進化した感じがすごく伝わってきた。色の微妙な変化や線の細やかさ柔らかさなど作者らしい雰囲気を残しつつも切り取られ、重ねられて再構築されて作られた絵が新鮮だった。

 

木津川アート2021 木津川市瓶原地区

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会期終了の数日前に催しを知って、あわてて出かけた。木津川市自体は実家からそんなに遠くないので知っていたものの、瓶原(みかのはら)地区へは用事がなかったのもあって行ったことがなかった。

今回、行くことができて本当によかった。まず瓶原地区の里山の景観の素晴らしさ、それがあってこそのインスタレーションだと思った。レンタサイクルを一回800円で借りて、およそ3時間で見て回ったが、時間が足りなかったのでほぼ駆け足。スタンプラリーもしていて、なんとかクリアして缶バッジをもらえた。

木津川アートの特色は地域の方の協力なしには行えないところなんだろうと感じた。実際に住んでおられるお宅の一角をアートの場所として提供されていたり、今は使っていない場所だけれどオーナーがその時だけ貸しているような場所もあった。秋の里山を自転車でめぐるということも楽しく、その風土にひとときの間入り込んだアート空間を味わうことは、本当に素敵な体験だった。

木津川アート

 

12月

「月を拾った日。」 ぎゃらりぃあと

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大阪市中崎町の住宅街にあるコミックアートに特化したギャラリー。私のお気に入りの作家さんYunaさんが出展されることを知り、見に行くことにした。この企画展の出展作家さんはどなたもすてきな絵を描かれていて、見ごたえがあった。初見で特に気になったのはさわさんの「永日」という作品と、月白しきさんの猫の作品。お目当のYunaさんの作品は水彩のにじみの表現が好き。柔らかくもせつない世界観。以前空掘商店街のギャラリーで知った針金鳥さんと横並びでの展示だったのもテンション上がった。私のお気に入り作家さんが申し合わせてないのに横並びって!

 

「たなかしんの旅と絵本の原画展」 阪急うめだギャラリー

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ART HOUSEさんでちらっと見たことはあっても、こんなに多くの作品を一度に見たのは初めてでとにかく圧倒された。そして見初めてわりとすぐに絵を見ていたら涙が出てきて止まらなくなり、マスクの中が涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったので、これはまずいと一度外へ出て、冷静な状態に戻してからまた見に行った。こんなふうに絵に圧倒されて涙がとまらなくなるのは初めての経験で自分でもびっくりだった。

絵本のかわいらしいタッチと旅の絵の神秘的な雰囲気が印象的。展示の仕方もとても素敵で、別世界に遊びに来たかのような楽しさがあった。

 

「DREAMS 子供のころ見た世界 鹿島孝一郎 2冊のえほん原画展」 Kara-S

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スペインで出版された鹿島さんの二冊の絵本の原画展示。細やかな描写とやわらかな色使いで独特の世界観の画風。私は和泉市のART GUSHというイベントで鹿島さんの絵を知ったのだが、その時のモチーフがティーとカメレオンだったので、今回絵本の原画を見ることができたのはとても感慨深かった。そしてギャラリーには、机などアトリエの再現もされていて、イタリアの絵本をもとにしたイタリア語での動画や、現在FM802と共同で制作中であるアニメの試作版が流されていたり、とにかく素敵な空間だった。そして鹿島さんが在廊されていて、来られた方にほんのすこしではあるが絵を説明してくださるという親切さもまた印象的だった。なんとか残っていて購入できた絵本にサイン絵を買いてもらえて、めっちゃ嬉しかった。その絵がまたかわいい!

 

「Inheritance of life」宮本佳美個展 イムラアートギャラリー

 

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京都丸太町通りに面したガラス張りの白壁のギャラリー。その空間自体がとても素敵だった。そこにわりと大きい作品が並ぶ。写真のように見えて写真ではない、強い光と影を感じる絵。今回作者の宮本さんが在廊されていて、制作過程を聞いて驚いた。黒はいろんな色を混ぜてこの絵のために作った水彩絵の具の黒だということ。滲ませて重ねていくことで作られるということが、見ただけでは想像もつかず、しかしそう聞いてから見ると、その過程の複雑さゆえに表面に現れるシンプルさが際立つのかもしれないと感じた。とにかく強い印象を覚える絵だということは間違いない。阪急うめだギャラリーで見た「数奇景」で印象に残っていたから、今回Twitterのタイムラインに個展の情報が流れて来たときにすぐに気づいて見に行くことができた。

今回のゼラニウムの作品群。作者によるとはじめて生命のある花を描いたとのことで、その力強さには圧倒された。

 

宮本佳美「Inheritance of life」|EXHIBITION|イムラアートギャラリー(imura art gallery)

宮永愛子 公孫樹をめぐるロンド」 京都府立図書館

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宮永愛子さんの作品もまた最初に出会ったのは前述の「数奇景」だった。

今回の展示はかつて府立図書館がまだ陳列室があり、美術の展示機能を備えていた頃、所蔵されていた宮永東山氏の公孫樹文花瓶、それを起点にひ孫にあたる宮永愛子さんがインスタレーションを展開するのがこのたびの展示。図書館の閲覧室の一角に展示スペースがあることで、どこか不思議な感覚はあった。人々が勉学のために興味のために本を読み、調べている部屋の一角に、時を止めたかのように静かにインスタレーションは置かれている。ガラスでできた氷のような本。変化していくはずのナフタリンで形作られたイチョウは厳かに時代を感じる戸棚の中に置かれていた。どこかそれは時の流れが違う空間にあるように思えてしまう。地下一階にある天井が吹き抜けの中庭、サンクンガーデン。抜水政人作「こもれび」という名の読書する少女像があり、そのまわりあちこちに散りばめられるように置かれているガラス。それがパンフレットに書かれていた文章にある「ひかりのことづけ」だろうか?

 

「CONNECT⇄_」 and DOMANI @京都 「宮永愛子 公孫樹をめぐるロンド」|DOMANI・明日展 2021-22|DOMANI・明日展

 

2021年のアート体験をふりかえって

今年もまた新型コロナウィルスの影響を感じた。それまではよく足を運んでいたギャラリーへ、混雑を避けるために行かなかったり、しばらくのあいだは公共交通機関を利用するのが怖くて、マイカーで行けるからとART HOUSEさんだけは行ったりしていた。

秋以降は流行もおさまってきたので、行きたい場所へ公共交通機関を使って見に行くことができた。11月12月はよく動いたと思う。

ギャラリーでは、たなかしんさんの展覧会以外は今まで見たことがある作家さんの作品を目当てにしていたので、新しい作家さんへの出会いというのは少なかった。しいて言うならば、ぎゃらりぃあとさんの企画展くらい。作家一人あたりの展示数は少なくても、取り扱う作家の数が多いので、新しい出会いは生まれやすいかもしれない。

アートフェスということでは、2020年は六甲ミーツアートに行って、2021年はそれよりは小規模な地域性を活かした木津川アートへ行ったので、ふたつをあれこれ比較しながら見て回った。六甲の方は商業的で大規模でスケールの大きさを感じた。木津川の方は瓶原という地域に特化していて、開催する人たちの温かみを感じた。どちらも強い刺激を受けたのは間違いなかった。木津川アートでは、私が知らなかった作家さんも多く、これからも見て行きたい作家さんを見つけられた。

また来年もいろんなアートを体験できるようであればいいな、と思っている。

 

 

 

 

 

卵焼きだけは!【今週のお題】お弁当

今週のお題「お弁当」


 普段もお弁当は作るのですが、8割が冷凍食品な私です。その中で唯一、好きで毎回作るのが卵焼き。とにかく作るのが好きなのです。

 私が卵焼きを作るようになったのは中学生の頃。その頃の中学校は、土曜日が午前中授業でした。午後から部活動があるので、土曜はお弁当の日。私が通っていた中学校は平日は給食でしたから、お弁当は週に一回でよかった。

その頃、私は母の作るお弁当が嫌いでした。イシイのハンバーグ、少し焦げた卵焼き。

 だから私は自分で作ることにしたのです。

 最初、私の卵焼きはひたすら巻くタイプの卵焼きでした。卵焼き器に生地を薄く流し、弱火で何度も巻くという層の多い卵焼き。味付けは塩と醤油でした。とにかく上手に巻けるように、それだけを練習して上達していったように思います。

 それを変えたのは我が子のお弁当で卵焼きを作るようになってから。テレビでふっくらした卵焼きを作る特集を見たからでした。

 卵を混ぜ過ぎないで、巻く回数を減らして、中火で作る。少しぷるぷるした感じのある卵焼きになりました。味付けも変えました。だし醤油を使うようになったのです。塩と醤油の時よりマイルドな味になりました。

 その卵焼きがこちら↓ 巻く回数は3回。

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 使っている卵焼き器は卵1個で作れるタイプの小さめのもの。写真の卵焼きは2個使い。

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 焼きあがったらこんな感じ。

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 息子が好きかどうかは正直知らないけど、私は卵焼きだけは作るのが好きなのです!


「老い」を生きることについて

ブログのタイトルがいきなりな感じですが、私が利用者さんに言ったことを振り返って考えたくなったので、ブログに書くことにしました。

守秘義務があるので、利用者さんのことは書きません。高齢者であることしか。

私はホームヘルパーの仕事をしています。いつのまにか10年が過ぎました。

その中で何度も聞いてきた言葉があります。

「歳をとるって嫌だね。〇〇もできなくなる」

その〇〇にはいろんなことが当てはまります。

老いていくことでできなくなることはたくさんあります。

私は利用者さんに言いました。

「いつまでも何でもできている方が怖くないですか? 人はみんな老いて死んでいくもの」

そのあとに本当は続きがあるのです。その続きこそが大事なことなので、伝えられなくて、意図が伝わらなかったかもしれないと、とても後悔しています。

「老いて、できなくなってしまったことが多いなかでも、今、できることを精一杯頑張っている姿に、私は力をもらっているのです」


私は高齢者を支援する仕事をはじめから志願したわけではありませんでした。

社会福祉の仕事をすると決めた時は、障害者の支援をしたいと思って、ずっとその仕事を探していました。

でも、登録していた福祉人材センターから、高齢者を中心とした仕事があるからどうか?と紹介してもらった時に、やってみようと思った、そのことが高齢者支援に関わるきっかけになりました。

高齢者の状態は決してよくなるわけではない。よくて維持。むしろ悪くなっていくことの方が多い。その中で寄り添っていくことのモチベーションがなにかと問われたら、その人の生き様に触れられる瞬間を見出せることかもしれません。老いていく今において、どう過ごしていくか。それを垣間見ることで、私はその人から力をもらっている気持ちになります。

ちゃんとそれを伝えられるようになれたら、と思うけど、なかなかタイミングがないのです。

だからかな、私は「すごいですね」を連発して言っているかもしれません。そして今まできちんとされてきたからこそというようなこともよく言っています。それは家の中を見ればすぐにわかりますから。


私もいずれ老いていく。

できていたことができなくなっていくことを、その時ちゃんと受け止められるのかな?と思いますが、私自身もその時にできることを精一杯頑張る自分であれたらな、と思います。



「老い」を生きることについて

ブログのタイトルがいきなりな感じですが、私が利用者さんに言ったことを振り返って考えたくなったので、ブログに書くことにしました。

守秘義務があるので、利用者さんのことは書きません。高齢者であることしか。

私はホームヘルパーの仕事をしています。いつのまにか10年が過ぎました。

その中で何度も聞いてきた言葉があります。

「歳をとるって嫌だね。〇〇もできなくなる」

その〇〇にはいろんなことが当てはまります。

老いていくことでできなくなることはたくさんあります。

私は利用者さんに言いました。

「いつまでも何でもできている方が怖くないですか? 人はみんな老いて死んでいくもの」

そのあとに本当は続きがあるのです。その続きこそが大事なことなので、伝えられなくて、意図が伝わらなかったかもしれないと、とても後悔しています。

「老いて、できなくなってしまったことが多いなかでも、今、できることを精一杯頑張っている姿に、私は力をもらっているのです」


私は高齢者を支援する仕事をはじめから志願したわけではありませんでした。

社会福祉の仕事をすると決めた時は、障害者の支援をしたいと思って、ずっとその仕事を探していました。

でも、登録していた福祉人材センターから、高齢者を中心とした仕事があるからどうか?と紹介してもらった時に、やってみようと思った、そのことが高齢者支援に関わるきっかけになりました。

高齢者の状態は決してよくなるわけではない。よくて維持。むしろ悪くなっていくことの方が多い。その中で寄り添っていくことのモチベーションがなにかと問われたら、その人の生き様に触れられる瞬間を見出せることかもしれません。老いていく今において、どう過ごしていくか。それを垣間見ることで、私はその人から力をもらっている気持ちになります。

ちゃんとそれを伝えられるようになれたら、と思うけど、なかなかタイミングがないのです。

だからかな、私は「すごいですね」を連発して言っているかもしれません。そして今まできちんとされてきたからこそというようなこともよく言っています。それは家の中を見ればすぐにわかりますから。


私もいずれ老いていく。

できていたことができなくなっていくことを、その時ちゃんと受け止められるのかな?と思いますが、私自身もその時にできることを精一杯頑張る自分であれたらな、と思います。



最果タヒ展(心斎橋PARCO)へ行ってきました

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 最果タヒ展が大阪にも巡回してきた。

2021.03.05〜03.21の16日間。10:00〜20:00

心斎橋PARCOの14階イベントホールでの開催。ホール前には大きく看板の展示。

入口でチケットを購入。チケットは800円。ミニ本付きの1800円の2種類。ミニ本は表紙の色が3色から選べる。内容は同じ。私は灰色を選んだ。

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入口を入ってすぐのこの展示に圧倒された。

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 「ループする詩」と名付けられたインスタレーション。円環状の内側に書かれた詩はどこから読んでもいいし、どこで読み終わってもいい。この中で永遠に言葉が存在し続けている。そのことに気づいて、ものすごく幸せな気持ちになった。ことばのなかにずっといられる。

「詩と身体」のインスタレーションで縦と横の直線の内側や外側に書かれた詩もまた同じだった。どこからでも読めて永遠に終わらないことばでありつづけられる。この形が私には何かの碑のようなものに思えた。

この空間の壁面には「詩の存在」と名付けられた透明なアクリルで作られた詩が物体として影を落としていた。ことばでありながらかたちでもあるのが面白かった。

次に興味を持ったのは「詩っぴつ中」。ケースの中に入ったスマホのメモの画面で自動で詩が入力されていく。止まったり、文字を削除したりしながら完成される詩の経過を見れるというのは、思考を外側から見ているようで興味深かった。

少し話がそれるが、私自身もスマホのメモで140字小説を書いている。思いついたことばを入力して保存して、それをカット&ペーストしたりしながら書いている。何を加えて何を削除するか、ことばをどう選ぶか、同じようで作者ごとに違うのだろうな、なんて想像していた。

 

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「いまなん詩゛?」では、壁面にプロジェクターで投影される言葉が、一部だけ変わり続け、ずっと同じだった部分もまた変わっていくことで、刻々と変わっていく意味が面白い。

「座れる詩」と円形のベンチに書かれていて、どうやら詩の朗読が流れているらしいのはわかっていた。展示スタッフの方にどうぞ座ってみて下さいと促されても、ちょっとためらっていたけど、勇気を出して座ってみたら、びっくり。

どこから音が出てるの、これ。骨伝導のような感覚になった。腕から聞こえる?

ずっと聴いていたくなる心地よさ。これは青柳いづみさんによる朗読とのこと。

 

 

「詩になる直前の、心斎橋パルコは。」のコーナーでは、壁面に詩がいくつかあり、コーナー全体を覆い尽くすように、ことばのモビールが吊るされている。見ている人の動きで風が起こって、モビールがゆれて、回転して、黒が白に反転している。

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それを眺めるのは、ことばを頭に入れて、それが流れていき、波長の合うことばは残ったりしながら、また違うことばに触れていくような感覚だった。

縦長の空間におびただしい数のことばが満ちていて、読んで、読んで、また読んで、と繰り返していくことが、とにかく幸せだった。

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展示スペースの出口に、最果タヒさんがことばを寄せていた。

読まれることで詩になる。そんなふうなことばだった。

読み手が意味を作る。その個人的な特別さこそが愛おしいと私は思う。

 

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会場を出て別の目的地へ歩き出そうとして、心斎橋パルコの壁面にあるポスターに気づいた。

展示会場だけでなく、阪急電車ホームでの広告の詩など、詩を日常に見える場所に展示されていることが素敵だと思う。阪急電車の広告が展示されている駅に行かなかったので見れなかったのだけど、Twitterでその様子を見て知ることができたのは嬉しかった。

 

今回の展示は、本当に素晴らしいものだった。普段、わずかながらことばを紡いでいる者としては、こんなにことばに満ちた空間に身をおけることはない、と思った。インスタレーションの力はすごいな。

 

最果タヒ展の公式サイトはこちら↓

iesot6.com

幼なじみの恋について 〜とある映画のシーンについて考える〜

 最近、俳優の若葉竜也さんに夢中です。映画「愛がなんだ」で存在に気づき、NHKの朝ドラ「おちょやん」でハマりました。彼の出演する過去作を追って観ています。 先日、若葉さんが15、16歳頃の出演作である2006年の映画「恋する日曜日」を配信サイトで観ました。監督は廣木隆一さん。私は過去に「きみの友だち」という重松清原作の映画を観ています。(これ、めっちゃいいです。石橋杏奈さん吉高由里子さん出演)

 幼なじみの恋のお話で、すごくきゅんとして、いいなと思うシーンもたくさんありつつも、違和感を感じることがあって、モヤモヤするのでブログに書いてみようと思いました。

 

※ネタバレするので、これから作品を観ようと思っている方は、この先は読まないで、観てからまた読みに来てください!

 作品を観るつもりはないけど、私がどんなことを思ったかだけ知りたい人はこの先も読んでもらっていいと思います。なるべく作品の内容がわかるように書いていくつもりです。

 

 さて、映画「恋する日曜日」どんな物語かというと……

Paraviの作品詳細から引用します!

 晶(水橋貴己)は父親の仕事の都合で終業式を機に転校することが決まっていた。晶の心に残るのは、幼なじみの直(若葉竜也)への密かな想い。しかし、直は環(芳賀優里亜)に夢中の様子。そんな中、晶の送別会が行われる。最後の日を2人きりで過ごそうと思っていた晶の気持ちをよそに、直は環を送別会に呼んでしまう。そして晶は送別会の最中の些細な喧嘩がもとで家を飛び出してしまう。直の気持ちをもてあそぶ環の態度が許せない晶。その時、弓道部の先輩であり、環の元彼の楽(佐々木和徳)が現れて……。4人の恋の行方は?長野県松本を舞台に描かれる青春の甘酸っぱいラブストーリー。

  少し(いや、かなり)補足。弓道部の晶は、引越し前日の終業式に部の先輩である楽から告白される。でも、晶は幼い頃からずっと幼なじみの直のことが好きで、好きだとはずっと言わないでいた。引越し前日に何人かの友達も招くと幼なじみの直も呼び、もともと呼んでないことは言わないで他の子たちはドタキャンになったと言って、晶は直と二人きりで過ごすつもりだった。大勢の方がいいだろうと直は仲良くなった同級生の環も送別会に呼ぶ。そこで晶は環から仕返しのつもりで直に接近したことを聞く。(環とつきあっていた楽が晶に好意を持っているため別れたから。)晶は家から飛び出して、幼い頃の直と結婚ごっこをして遊んだ思い出の場所をめぐる。そのうちに環の元彼の楽に会ってしまい、探しにきた直と環もその場に合流する。そこで晶は楽に勝負を持ちかけられる。勝った方が言いなりになるというもの。弓道で晶が勝ったら楽は環とよりを戻してほしいと頼む。楽からこっそり晶に持ちかけられたのは、楽が勝ったら晶と付き合うということ。夜の学校に忍びこみ、勝負する。晶が負けると楽とつきあうという条件をその場で聞いた環が怒って、楽は晶が直を好きだということをバラしてしまう。環が非常ベルを鳴らして校内を逃げる最中、直は晶の手を取って、屋上まで階段をのぼる。二人で手を繋いで階段をのぼり、1分以内で屋上に行けたら二人は永遠に結ばれるという学校の伝説。それを学校に忍び込む前に環から聞いていた。屋上で直は今の自分の気持ちを晶にもらす。浮かれていた自分が格好悪い。二人は給水タンクらしきものに座っていたけれど、直は立ち上がって、顔を見られないようになのか背を向けて自分の気持ちを話す。

(ここからセリフ込みの描写をはじめます)

 

「俺だって晶のこと好きだけどさ、それは幼なじみとしてというかさ……」

 晶は立ち上がって直に近づき、後ろから手を取ってゆっくり振り向かせ、何も言わずにそっとキスをした。

「あたしは、あたしは直が誰を好きになってもかまわない。離れてたって平気。だから、振る振らないとかそんなのどうだっていい。あたしがおばあちゃんになったら、おじいちゃんになった直に会いたい。会って冗談言ったりケンカしたい。あたしの好きはそういう意味だから」

晶はまっすぐ直を見る。

「晶……」

「直と幼なじみでよかった。すごく楽しかったよ。ありがと」

 泣き出してしまう晶を見つめる直。直はゆっくり晶に顔を近づけておでこをくっつける。

「今度は俺が泣かしちゃったな。はじめて会った時も泣いてただろ」

 泣き続ける晶を、おでこをくっつけたまま、直はやさしく見ていた。

 

(補足。晶は幼い時に母親を亡くし、泣いていた時に直がそばに来て手を握ってくれたことがあり、そこからずっと直を想っている。)

 

 この、おでこをくっつけるというの、とても絵になっていた。屋上から見える長野県の長閑な朝の風景に、浮かび上がる二人のシルエットが本当に綺麗だった。きゅんとした。

 でも!

 高校生の幼なじみがこんなに距離近いもんかな? と思ってしまった。こういうなぐさめたい場面では、頭をぽんぽんとか、背中をぽんぽんとか、ただそばにいるとかがよく見るシーンで、おでこをくっつけるのは、はじめて見た。今までになかったから違和感なのかもしれない。朝ドラ「半分、青い」では背中合わせに座っていたシーンがあった。あれもはじめて見たけど、あれはアリだと思ったし、ドラマの中でめっちゃきゅんとしたシーンのひとつだった。

今回のは、一度目、すごく違和感があった。このブログを書こうと思い立って、二度目に見て、少し印象が変わった。直は晶を幼なじみ以上とは思えない、けれど大切な存在。だから、最大限に自分から近づけるのはここまでで、ギリギリまで近づいてあげたかったのかな、と。

 

 映画はここでエンディングではなく、朝までいた学校からの帰り道の、幼なじみらしい二人の会話、そしてこの町を出て行くため電車を待つ晶、その時に見送らずに家で親とご飯を食べている直、塾へいく楽、バンド仲間とコンビニ前で話す環、と四人のそれぞれが描かれて、晶が電車に乗ってこの町を後にするところで映画は終わる。

(もうひとつの線として、晶たちを教える教師の同級生の帰郷に晶が出会い、話をすることと、教師とその同級生の関係、階段の伝説が絡む。暗にそれは晶と直の未来を示すものとしての布石とも取れる)

 

 晶は直に幼なじみでよかった。たのしかったと伝えている。ここで関係が過去になってしまったのかな、と私はすごくせつなかった。

 幼なじみが最大で一緒にいられるのは高校生までだとは思う。私の同性の幼なじみはそうでした。でも、その先は自分で関係をつないでいかないと続かない。共にいることでの関係性はなくなってしまっても、薄くなってしまっても、繋がり続けることはできる。繋ごうとすれば。私の同性の幼なじみは続いている。会っていなくてもメールだけでも。

 でも、晶はここでそれをやめてしまうんだろうな、と思うとせつなかった。

 おばあちゃんになった晶がおじいちゃんになった直に会ってほしい。そう強く願う。

 

 結論。

 おでこくっつけて慰めるとか、近すぎる!

 こんなのはじめて見たから違和感あったけれど、よくよく考えてみると、めっちゃ素敵だった!

 

 ずいぶんネタバレしてますが、それでも観たいと思った方はレンタルしてみて下さい。

 映画「恋する日曜日

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あの橋を渡れば(若き日のレンタルショップの思い出)

 素敵なコラムに出逢った。

 そのコラムはこちら↓

https://www.pintscope.com/column/yuki-fukutomi-08/


 そのコラムを読んで私自身が若い頃通っていたレンタルCDショップの記憶がよみがえってきた。

 というわけで、そのレンタルCDショップにまつわる記憶を記しておこうと思ったのである。


 私が住んでいた町は、商店街に古い街道が通っている田舎町だ。年月が経つにつれ、町から店がなくなっていった。私が大学生になる頃には、おもちゃの店も書店も時計店もなかった。

 そんな町に当然CDショップはなく、レンタルCDショップもなかった。川の向こう岸の隣町まで行かなければ、それらはなかったのだ。

 隣町へ行くにはそれなりに大きな川にかかる割に道幅の狭い橋を渡らなければならなかった。歩けば1時間近くかかってしまう距離だから、高校生の私には隣町までの移動手段は自転車しかなかった。歩道は狭く、車が歩道ぎりぎりをビュンビュンと飛ばしていく。風など吹こうものなら、煽られて、車道側へ飛び出しそうになるのを必死で立て直して自転車を漕いでいた。できればその橋は渡りたくないから、レンタルCDショップへはそんなに頻繁には行ってなかった。けれども危険をおかして、あの橋を渡ってしばらく走った先には、音楽があった。好きなアーティストが雑誌でオススメしていたアルバムだとかを借りては、CDラジカセでカセットに録音して聴いていた。その頃私が聞いていたのは、スティービーワンダーのモータウンレコードの時代の曲が中心だった。

 隣町の小さな雑居ビルにあったそのレンタルCDショップは、チェーン店ではなくこじんまりとしていて、店にいる人もそんなに多くはなかったが、その空間に行くと、心地よい緊張感を感じられてよかった。そのお店は、私が大学生になる前にできたTSUTAYAの影響を受けてか、いつのまにか無くなっていた。TSUTAYAの方が魅力的に感じられたのは確かだった。店の規模は2倍で、おしゃれな感じがしたからだ。

 私が生まれた町を出て別の場所で暮らすようになるまで、TSUTAYAには通った。でも、懐かしく思い出すのは、あの橋を渡って、怖い思いをしながらも自転車で向かった小さなレンタルCDショップなのだった。きっとそれは、音楽に対する興味がどんどん広がっていこうとするその最中にあったからだと、今は思う。