感情を作品にのせること
まず、私の140字小説を読んでみて下さい。いつもはTwitterでツイートしているから、140字です。
ツイートの制限文字数内で書いている、詩のような、物語の断片のような内容です。
***
私の知らないうちにさよならされていた。感謝していると言いながら、足りない、もっと、してくれよと、不満が溜まっていったのだろうか。楽しそうに笑うあなたの顔が、上っ面な仮面だったと思いたくはなかった。サービスが媒介する限定的な関係ゆえに、笑顔はあなたのおもてなしだったのかもしれない。
***
これは、私に起こった出来事で沸き起こった感情を作品にのせて、どうにか昇華したものだと思っています。
生の感情をそのままではなくて、作品の要素として使うことで、私は自分の感情に折り合いをつけるということを、書きはじめたころから続けています。だから、伝わってほしい、確かなところは、その感情で、曖昧でも、もやもやでも、いいのですが、感情があるということ、それだけ伝わればいいな、と思って書いています。それが、「わかる〜」と思ってもらえたら、やっぱり嬉しいし、「全然わからん」と思われても、それでいいんです。
140字小説の面白いところは、具体的なものを減らしたことで、読み手が自分の中からイメージを引っ張り出してきてくれることだと思っています。
ここに載せた作品は、具体的なことは何一つなく、何のサービスなのかもわからないようにしてあります。人によって違うサービスになるでしょう。それでいいと思って、私は書いています。
言葉から連想されるものは、人によって違う。そこが面白さだと思うのです。
だって、その人の生きてきた中で、見たもの感じたもの経験したものの中からイメージされるものでしょう。
それを想起できるなら、なんて素敵なことなんでしょう。
私は言葉を組み合わせて、あなたの、誰かの中から、何かを引っ張りだそうと、悪あがきしているのです。
まあ、なにも引っ張りだせないこともあるでしょうけどね。
ちなみに、私の140字小説のTwitterモーメントを載せておきます。
興味がおありでしたら、見てもらえると嬉しいです。