みやふきんの見聞録

見聞きしたり感じたものを記録するブログ

「離れるとき、泣いたのはわたしのほうだった」出産後仕事を始めたときの話

「仕事と子育て」というふと目についたPRお題。

ちょっと書いてみようと思った。

 

私が働く母になったのは、我が子が二歳の時。数ヶ月前に福祉人材センターに登録して、条件がいい仕事があればしようかな、程度だった。

そもそもの発端は夫のひとことで、主婦は働いてないから楽でいいよな、的な言葉からだった。

じゃあ、働く!と思ったのだった。

子育てに息苦しさもあったから、我が子とふたりぼっちの生活から抜け出したい思いもあった。

 

こんな求人があるよ、と福祉人材センターからの電話を受けて、面接、保育園探し、採用、保育園入園まで約一ヶ月程度で、慌ただしかった。

仕事は福祉関係の専門職の嘱託職員。自分でスケジュールをある程度采配できるのが、子育てとの両立に助けとなった。保育園が職場から自転車で10分以内なのも好条件だった。保育園行事の参観などは時間給を取って参加して、またすぐに仕事に戻れた。

私は仕事をするためにあらゆるサービスを使っていた。

親元が遠くて頼れる人がいなかったからだ。

1時間700円程度でボランティアが子どもを預かってくれる「ファミリーサポートセンター」は、残業がわかっているときは利用したし、職場の忘年会などでも使って、預かってもらっていた。

病児保育も使っていた。

我が子が熱を出したら、まず病児保育併設の診療所に駆け込んでから遅刻して出勤した。

仕事を始めて二ヶ月が経った頃、朝、病児保育に我が子を預けて、自身も熱があるのに出勤。それが数日間続いていた。仕事を早退して保育園の面談をした後、我が子が熱性けいれんを起こしたと病児保育から連絡を受けて駆けつけ、救急車で搬送。私自身、風邪で立ち止まったら倒れてしまいそうだと思って動き続けていたが、息がしにくいし、咳がひどく、胸も背中も痛い。搬送先の病院で、我が子の入院手続きが一段落したところで、実は私もしんどくて診てもらえないかとかけあったら診てくれて、肺炎との診断。親子で一週間ほど入院となった。

それ以後、無理はしないように心がけるようになった。家事を少しでも軽減したいと食器洗い洗浄機を購入したりもした。

 

結局、この頃の私は、子育てもできて仕事もできるスーパーウーマンになりたくて、夫にぎゃふんと言わせたい気持ちがあったんだと思う。これだけ私はがんばっているんだから、文句ないでしょう?と。

もちろん、夫はぎゃふんとなんか言わず、入院後は仕事を辞めたらと言われた。

でも、私は仕事を辞めたくなかった。

 

働くことで得たことを手放したくなかったからだ。

保育園の先生たちと、ともに我が子を支えている感覚や、私が使わせてもらったファミリーサポートセンターのボランティアさんの我が子への温かい眼差し、同じような年齢の子どもを育てる同僚との会話など、いろんな人との関わりのある世界だった。

 

収入が少ないからと始めたわけではなかったから、他の働くママさんたちとは感覚が違っていたかもしれない。

でも、働く母となれた私は幸せだった。

 

事情があって、その頃とは別の場所に引っ越した今、もう高校生になった我が子を見守りながら、また違う職場でパートタイマーとして働いている。

 

たぶん、我が子が自立するまで、ずっと働く母なんだろうな。

 

せっかくなので川柳を。

 

「保育園 初日の朝に 泣くわたし」

 

保育園の先生の腕に抱かれてキョトンとした顔をしている我が子を見送って、泣いたのはわたしのほうだった。

それまで我が子は片時も離れずそばにいたから、半身がなくなるような感覚になったことは、今でも忘れない。

 

働くパパママ川柳×はてなブログ 特別お題キャンペーン #仕事と子育て

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by オリックスグループ