みやふきんの見聞録

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「純平、考え直せ」を考える〜小説と映画と〜

 小説を原作に映画が作られることって結構多いと思う。これまでいくつ小説原作の映画を観てきたか考えると、すごく多い。映画というのは、上映時間の兼ね合いもあって、そんなに長くない。二時間ちょっとがスタンダード。そのなかに原作を忠実に、なんてなかなかありえない。取捨選択と映画ならではの見せ方がプラスされるのがほとんどなのではないか。
 私は映画を観てから原作小説を読むことが多い。その逆の場合、がっかりする確率が高いというのもあるから。がっかりしなかった作品ももちろんあるけれど。
 前置きが長くなったが、「純平、考え直せ」の映画を観たあとで、原作小説を読んでその違いに驚き、どちらもよいと思ったので、なぜよかったのかを私なりに語ってみたいと思う。

 小説「純平、考え直せ
 著者は奥田英朗。文芸誌「小説宝石」に2009年9月号~2010年8月号までの連載小説
 単行本は2011年1月発行


 映画「純平、考え直せ
 2018年9月22日公開
 監督は森岡利行、脚本は吉川菜美、木村暉、角田ルミ
 純平役に野村周平、加奈役に柳ゆり菜

 伊藤さとりさんが監督にインタビューされた動画でも監督が言っておられたが、かなり原作とは違っていて、結末も変えている。大きな核となる部分は変わらない。変わらない部分は以下の通り。
 気のいい下っ端やくざの純平が、対立する組幹部の命を獲ってこいと親分から鉄砲玉を命じられ、娑婆を楽しめとお金と時間をもらう。決行までの三日間、出会った女の加奈に鉄砲玉をすることを打ち明けると、加奈が掲示板に書き込み、見知らぬネット上の人の忠告や冷やかしなどが飛び交う。三日間のうちに起こった出来事を描く作品。

 映画で付け加えられた最大のものは、恋愛映画になったことにあると思う。小説では三日間に出会う人の中で重要ではあったものの、純平の心を大きく動かすほどの人物ではなかった加奈が、映画の中では純平との出会いの場も、関係の深度も大きく変えられている。それによって、小説の最大のクライマックスである部分は削られ、別の形へと変えられて、結末のせつなさへとつながっている。
 こんなにも原作と変えられてしまうと、むしろ潔くて、原作の要素を核にした別の作品とみなしてもいいくらいだと思ってしまった。中途半端に原作に忠実にするよりよかったと私は思った。小説では三日間のうちに純平が出会う人たちとの関係もまた魅力ではあった。別の組のやくざと仲良くなったり、言いがかりをつけて無銭飲食をしようとする元教授の老人(映画ではホームレスと設定が変わっている)に、奢ってやったあとに送っていったアパートでもらった本のこと、その後、老人を利用して、いざこざになった別の組のやつらに仕返ししたこと。バイクを調達しに地元へ行ったときに出会う暴走族の後輩。小説でも映画でも重要な場所であるコインランドリーにいるゴローも、小説ではもっと親しく関わる。小説の中では、純平が人と関わることでもらったものが、結末のクライマックスへ結びつく。映画ではがっつり削られていたこの部分が、私は小説の中でもっとも心が動いた場面でもあったけれど、映画のあの流れから、この小説のクライマックスへとはつなげられないし、映画の中にしかない別の結末が、映画だからこそ成立して、せつなく余韻を残している。
 掲示板の書き込みをする人物が、小説ではまったく背景が見えない匿名な存在であるのに対し、映画では人物の背負う背景が作られて、生身の人物として、掲示板の書き込みにある純平に対して、思い入れてその行為を止めたいとすら思って行動する。その思いの吸引力もまた、映画のクライマックスへ向かう。その仕掛けに、映画を観ている側が引き込まれる力があった。映像としての見せ方、引きつけ方を感じた。

 この映画では柳ゆり菜さんの体当たりの演技もまた話題となったようだ。映画がR15になっているのは官能的なシーンがあるせいで、とても濃厚なベッドシーンがある。下品ではなく美しいが、私が好きだと思っている映画の中の官能的なシーンの比ではなかった(ちなみに好みなのは「第三夫人と髪飾り」)。小説を読んだときは、そのあっさりした描写に逆に驚いた。小説の描写はこうだ。

 四回目以降のセックスは単なる運動の様相を呈してきた。一回目は二人とも興奮していて前戯もなく動物的に求め合い、二回目は失地回復するがごとく丁寧に施し合い、三回目になってやっと互いに反応を楽しむ余裕が生まれ、満足のゆくセックスができた。(中略)
 純平も人肌が愛しかった。柔肌と産毛の心地よさ、内側から発せられる体温とが、純平のすべてを受け入れてくれ、死んでもいいとはこういう瞬間を言うのだろうと、生きている実感を噛みしめていた。

 小説は小説でとある描写が非常に映像的で際立っていたので、そちらの方が私は好みかもしれない。幹部の顔を確認してきてホテルに戻ってきてベッドにいる加奈との場面。引用すると、この部分。

「おい。ちょっと寝かせろ」
 純平は、加奈をベッドの真ん中から押しやった。スペースを確保して布団を被る。
「何よ、寝ちゃうの」と加奈。
「いい加減眠いんだよ。おれの一日は長えんだ」純平が大あくびをした。
「じゃあ、わたしも寝よっかな」
 加奈が横向きになる。浴衣から大きな乳房がぽろりとこぼれた。
 どうしようかと迷いつつも、自然と純平の手が伸びた。

 けれど、映画の役者さんのこの時にしかない美しさは、柳ゆり菜さんにしても野村周平さんにしてもあると思う。小説では短い文章で表現されるものが、映像での表現となると形を変えるのだろう。
 
 映画のなかでもとりわけ私が印象的なシーンは、予告編のなかにも出てくるあのまなざし。
 加奈が純平を見つけた神社で、靴擦れになった足を純平に洗ってもらったあとのふたり。みつめあう視線の、その目の表情。ああいうのは映画にしかない、惹かれあうふたりのまなざしだ。こういう場面だけで、ぐっと映画の世界に引き込まれる。ほんといい表情、いい目をしていた、柳ゆり菜さんも野村周平さんも。それは映画が恋愛に舵を切ったから生まれたもの。

 小説には小説の、映画には映画の良さがあって、だからどちらも素敵で愛おしい。
こんな作品に出会えたことを幸せに思う。
 だって、二倍だから。作品を愛おしく思う気持ちが映画でも小説でもあるって、最高の相乗効果。
 
 原作を映画にすることが多い邦画。どうかそんな素敵な作品がたくさん生まれますように!

 

光文社文庫

奥田英朗著「純平、考え直せ

https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334766627

 

映画「純平、考え直せ」予告編

https://youtu.be/RjCtdAgyPpA

 

伊藤さとりさんの森岡利行監督へのインタビュー(前編)映画紹介のあとに流れます。

https://youtu.be/Mr08wFcwKLQ

 

伊藤さとりさんの森岡利行監督へのインタビュー(後編)映画紹介のあとに流れます。

https://youtu.be/_BYDAwq8XO8

 

伊藤さとりさんの野村周平さんへのインタビュー

https://youtu.be/iEv2frZRDhU