ARTISTS’ FAIR KYOTO 2022へ行ってきました
Twitterに流れてきた美術手帖のツイートで興味を持ち、行って来ました。
2018年から始まったアートフェアで今年で5回目の開催だそうです。
国内外で活躍するアーティストの推薦を受けた若手アーティスト、公募選出されたアーティストの作品を重要文化財や企業ビルを舞台に展示するもの。
二日間と短い期間ではあるけれど、直接アーティストに話を聞けるのはすごいと思います。
また同時に国内外で活躍するアーティストの展示もあるので(今回は清水寺)、一度に多くのアーティスト作品を体感できるのも魅力的。
今年の会場は主に3会場。京都府立京都文化博物館別館、京都新聞ビル地下一階、清水寺。
京都文化博物館から京都新聞ビル、清水寺へは無料シャトルカーが運行されていて、停留所に来た人(一組ずつ?)を随時希望のどちらかの会場へ送ってくれました。私は京都新聞ビルまで利用しました。
さて、各会場で気になった作品について語ろうと思います。
京都文化博物館別館
大和美緒さんの作品
赤いドットが正方形のアクリルに描かれていて、それをたくさん並べて一つの作品にしてある。作品のすぐ近くに座っていた方(作者の代理の方)に話を伺うと、島津製作所に協力してもらい、血液細胞の様子をうつしとり、アクリル絵具で描いたものとのこと。
過去にも似たような作品を制作されていて、制作に関する詳しいインタビュー記事があったので、リンクを貼る。
この作品を見たときに感じたのはやはり血液の細胞だったし、もしかしてと思って訊いてみたらそうだったので、腑に落ちた感覚はあった。しかし一つひとつのパターン、そしてそれをどう組み合わせて並べるのか、それが生みだすものに思いを馳せると、恣意性とそうでないもの、それが生みだしたものを、見る側が意味を見つけるような、そんな感覚が生まれてきて、パッと見た目の強さと、じっくり細部を見ることで生まれる感覚の生っぽさというか、絵の具の盛り上がりや、印刷では出せないゆらぎの感覚が沁みてくるのはあった。
川瀬理央さんの作品
枯れ木のような細い棒状が集まってかたちになっている器。
たぶん実際には器としては使えないだろうと思われるオブジェ。
細密画が好きな私としては細かいものが密になったものというのはたいそう魅力的に見える。
アーティストさん本人がそばにおられて、話を聞いた。制作過程ではとても細く棒状に伸ばしたものを大量に作り、組み合わせていくとのこと。スマホで写真を見せていただいた。
何に似ているのだろう、とずっと考えていた。
たぶん骨だ。
器の色は白。少しくすんでいる。すぐに壊れてしまいそうな儚い佇まい。それが魅力のような気がした。
宮永愛子さんが推薦されてというのもまた嬉しいポイントだった。私は宮永さんの作品が大好きなので。
京都新聞ビル地下一階
林勇気さんの作品
京都新聞ビルの地下一階は以前印刷工場だったらしい。あちこちに溝があり、何かの跡であろうというのが残っている。薄暗い展示会場は独特の雰囲気。この映像作品が少し内に奥まったいわゆる凹んだ個室のようなスペースで展示されていたことがすごく効果的だったように思えた。アーティスト本人がおられて、たまたま声をかけてもらえた。たぶんそのスペースにいる人がまだひとりふたりと少なかったからだろう。6分間の映像作品で、一つの写真から始まり、多くの写真が次々に現れては分割され、あちこちへ飛び移り、またひとつになり、分割されたものが別のかたちになり、それが動きまわり、軌跡だけで埋め尽くされる終焉へと向かう、そんな作品。
私は記憶のようだと感じた。回路でしかないあやふやなものだけれど、確かにあって、意味を持っているのに、記憶はいつのまにかどこかへ行ってしまう。その回路を辿れなくなってしまう。でもあったことはなかったことにならないし、軌跡としてかたちはなくともあるのだろう。そんなふうに思えた。
この方の作品をもっと見てみたいと思ったら、兵庫県立美術館でわりと長い期間やっている展示があるようだ。最近できた中之島美術館でも展示はあるようだけど、それも期間は短め。機会を作って兵庫県立美術館に足を運べたらいいなと思う。アーティストのサイトにあるアーカイブも見てみようと思う。
清水寺
Yottaさんの作品
仁王門となりに横たわるバルーンのこけし「花子」さん。なんか喋っているけれどわかりませんでした。インパクト大! 清水寺という場所にぴったり。巨大バルーンアートはとにかくインパクトがある。そして愛らしさがあるからこそ、その場にあっても馴染むというか大歓迎な感覚が生まれる気がする。
以前にもこけしの花子さんは京都に来ていたらしい。その時は京都市美術館別館だったっぽい。
その時から気にはなっていたので、今回見れたのは嬉しい。
ヤノベケンジさんの作品
西門前にKOMAINU。メタリックでかっこいい。
めっちゃ守っている感じ。
成就院には宇宙服の猫が掛け軸に仕立てられた絵とともにあった。どちらも清水寺という空間にはまっていた。
名和晃平さんの作品
清水寺成就院にて展示。名和さんの作品は神秘的な動物のイメージ。テレビなどで見たことはあるものの実物の作品を見るのは初めて。粒でできた鳥は、やっぱり神秘的で厳かなイメージ。
塩田千春さんの作品
以前インスタレーションを見たことがあるので、そのイメージで期待していたので、小品だったことは私の中では少し残念だった。塩田さんの作品のイメージである「赤」は健在で、臓器のような生々しさとともに痛々しさと儚さがあった。
井口皓太さんの作品
初めて知ったアーティスト。「空の時計/Blank Clocks」というタイトルの作品は少し前の録画映像をモニターに加工して映し出される。そのモニターが円形で、どこか標識のようでもある。分割されて加工される映像がノイズのように、でも意図的に見えるのも面白かった。
検索したら東京オリンピック2020の動くピクトグラムを作られて方だとわかった。知らないと思っていても目にしていたのだなあ。
宮島達男さんの作品
清水寺経堂での展示。仏像は撮影禁止とお達しあり。
仏像の向かい側に設置されたスクリーンに映し出されるのは、カウントダウンしてゼロになった瞬間に洗面器の水に顔をつける男性の上半身。背景は大きく揺れて、船上での撮影だとわかる。スクリーンから少し離れたところにある絵画が、その映像を読み解くヒントになっている。
繰り返されるカウントダウン。口調や表情の変化。どこかシュール。でも見入ってしまった。繰り返される、あるいは終わってもまた始まるカウントダウン。宮島さんの作品には欠かせない要素だ。
私が多色発光ダイオードのデジタルカウンターでの作品を最初に見たのは東京オペラシティーで、最後に見たのもやはり東京で、谷中の小さなギャラリーだった。もう20年近く前のことだと思う。その時からテーマは変わっていないのだろう。ずっと生と死について。
今回宮島達男さんの作品を久しぶりに見ることができたのが嬉しく、また宮島達男さんが推薦されたアーティスト作品に惹かれたことを嬉しく思った。
全体の感想
たくさんのアーティストの作品を一堂に会して見ることのできるイベントや展示はわりと好みなので、とても刺激的で満たされた感じがすごくある。
会場が離れていても無料シャトルカーで移動できたりと工夫もされていて、存分に楽しめると思った。
ただコロナ禍なので、どうしても密になるのを避けたかった感じは私の中にあった。京都文化博物館別館での二階展示は、人数制限があり、整理番号が呼ばれるまでは二階へ上がれない。人が多い会場で待つのは難しく、展示を見るのを諦めてしまった。
公式サイトでは、過去の展示風景の画像も見ることができるし、後日今回の展示の画像も見ることができる。また公式Instagramでも作品が紹介されている。
ARTISTS’ FAIR KYOTO 2022 | 京都発アート・オブ・シンギュラリティ 既存の枠組みを超えたアートフェア
https://instagram.com/artists.fair.kyoto
2021年の創作活動を振り返る
Twitterのタイムラインにふと流れてきたタグ企画 #創作2021_2022
いい機会なのでやってみようと思いました。
私の創作活動というのは、Twitterでの140字小説、300字小説、投稿サイトへの短編小説が主です。2021年は2020年にも一度参加したhoshiboshiのオンライン読書会&合評会への参加もありました。創作したときに思っていたことなども交えて振り返りたいと思います。
- 2月 140字小説
- 2月 Twitter300字ss
- 5月 300字ss
- 5月 140字小説を5本(そのうち3本をリンクで紹介)
- 5月 「はまぐりの夢 VOL.3」へ140字小説4本
- 6月 300字ss
- 6月 カクヨムに投稿 #さみしいなにかをかく8話「遠くへ、あとかたづけ」
- 6月 短編「一でも八でも」加筆
- 8月 星々オンライン最終回の合評会作品「同じ重さなら」(約1万字)
- 11月 紅茶の日の140字小説
- 11月 #ノベルバーへ参加
- 12月 300字ss
- まとめ&2022年への抱負
2月 140字小説
見知らぬ人が待つ場所に電話をかけた。私を救ってくれると思ったからだった。繋がった電話口で告げられた。別の場所へお行きなさい。後日、私は案内された場所を訪ねた。待っていた大人に困っていることを打ち明けた。かけられた言葉はおもいやりで、私にとどめを刺したから、人生を諦める覚悟をした。
— みやふきん (@38fukin) 2021年2月4日
Twitterで見たツイートをきっかけに思い出した自身のことを書いた140字小説。若き日の苦い思い出。
2月 Twitter300字ss
#Twitter300字ss@Tw300ss
— みやふきん (@38fukin) 2021年2月6日
第72回お題「運」
タイトル:「ケセランパサランの正体」
ジャンル:オリジナル pic.twitter.com/ZAVRQinmoI
1月下旬にお題が発表されて2月6日にTwitterに投稿。お題は「運」
ケセランパセランという存在と綿毛を絡ませたショートストーリー。
300字ssの投稿者さんたちは本当に真摯な方が多く、この時も引用RTで感想をもらってとても嬉しかった。
5月 300字ss
#Twitter300字ss@Tw300ss
— みやふきん (@38fukin) 2021年5月1日
第75回 お題「届く」
タイトル:「会えるのはわずかな確率」
ジャンル:オリジナル pic.twitter.com/AmGI5d0d1X
以前息子が拾ったスマホのことを思い出しながら書いた。
5月 140字小説を5本(そのうち3本をリンクで紹介)
「どこにでもあるケーキ、変わりゆく君の顔」
彼と何度かお茶をした。甘いものが好きな私はあちこちの喫茶店へ誘った。彼は嬉しそうについてくるくせに頼むものはいつも同じ。メニューも見ずにチーズケーキ。好きなんだと思っていたら違った。今日行った店にはチーズケーキがなくて、実は君があれこれ選ぶ時の顔を見ていたかったからと白状された。
— みやふきん (@38fukin) 2021年5月17日
これは確実に「待の上で」の劇中の「チーズケーキの歌」に影響を受けてできたお話。
「光をさがして、また一歩」
暗闇の中もう歩けないとしゃがみ込んだ。カサカサした何かが指先に触れる。葉っぱだろうか。光がないから判別できない。拾い上げて仕方なく歩く。あきらめた頃に見えたひとすじの光に、今だとばかりに拾ったものをかざしてみる。きらきら七色に光る昆虫の羽。きっとこれは兆し。これでまた前を向ける。
— みやふきん (@38fukin) 2021年5月18日
これはBUMP OF CHICKENの「なないろ」に影響を受けてできたお話。
「花から馳せる」
#140字小説
— みやふきん (@38fukin) 2021年5月22日
「花から馳せる」
(さっきのは削除。修正して再ツイート) pic.twitter.com/J4YZbfO2C0
連休明けてすぐ、父が急死して実家の近くのいとこがいろいろと手配をしてくれていたが、その方から花を買って来てと言われ、お通夜の祭壇に飾る花を地元の花屋に買いに行った。地元の風習がよくわからず、花屋に尋ねて買うことにしたが、迷って色付きの香りのある花も買っておいた。結局しきみしか使わずに不要になった花を持ち帰った。葬儀の際には祭壇に飾ってあった花を持ち帰って仏壇に飾った。普段ほとんど花のない実家に飾られた花を想った。
父は調子を崩して数日、入院することもなく、家で亡くなった。父を思って書いた140字。
5月 「はまぐりの夢 VOL.3」へ140字小説4本
文学フリマに合わせて本が出来上がったとのこと。書いていたのは2月〜3月。2月初旬にお誘いを受けて、めったにない機会だと思って参加させてもらう。
星々ワークショップでのご縁がこんなふうに形に残るのはうれしい。
お題に沿って書いた140字。コロナ禍だからこそのお題だと感じた。もう行くことのできない場所のもう会うことのできない友というイメージが湧きあがってできた2編はお気に入り。感想をいただいた骨伝導の心音のお話は私にとって過去最大の「離す」ことのできたこと。
6月 300字ss
#Twitter300字ss@Tw300ss
— みやふきん (@38fukin) 2021年6月5日
第76回のお題「影」
題名:「君の顔は」
ジャンル:オリジナル
注意点なし
遅刻しました💦
最近ややダークめな作風になりがちです。よろしくお願いします。 pic.twitter.com/hBMf6xLyZA
思えば300字ssはダークめな作品が多い気がする。
6月 カクヨムに投稿 #さみしいなにかをかく8話「遠くへ、あとかたづけ」
虫のしらせだったのかな、とこの作品については思う。
というのも、このお話を書いていたのは4月の終わりからで、5月に父が亡くなったのでどうしても関連して思い出してしまう。
3月に引越しを経験していたから、粗大ゴミのくだりが出てきている。
6月 短編「一でも八でも」加筆
第一回星々ワークショップ合評会に提出した「一でも八でも」を加筆して小説家になろうというサイトへ載せる。
高校生の頃、初めて地元ではない美容室でお試しでお化粧をしてもらった時のことを思い出しながら書いた作品。1950年代の洋服を調べたりするのはとても楽しかった。
https://ncode.syosetu.com/n1283hb/
8月 星々オンライン最終回の合評会作品「同じ重さなら」(約1万字)
最終回ということで絶対に参加したかったので、参加できてよかった。お題が「問うことについて」で、私は以前に自分が書いた「通信制中学生」をもとにして「同じ重さなら」という作品を書いた。学校教育においていじめを産まないシステムについて書いたつもり。真剣にこういう中学校があったらいいと思う。まだ加筆できていないけれど、加筆して投稿サイトに載せたい。
11月 紅茶の日の140字小説
#紅茶の日#140字小説 pic.twitter.com/wXxFtYC8q4
— みやふきん (@38fukin) 2021年11月1日
毎年できる限り紅茶の日は140字小説を書くようにしている。
今年もなんとか書くことができた。
11月 #ノベルバーへ参加
https://t.co/5hrNOwUwM5 #ノベルバー参加中
— みやふきん (@38fukin) 2021年11月16日
随時更新
Twitterのタイムラインで見かけた #ノベルバーの企画に参加。11月の一ヶ月間、お題に沿って小説を書くという企画。私は140字小説でほぼ毎日投稿することに。ほぼ毎日というのは2018年にお題に沿って140字小説を投稿して以来久しぶり。なんとか完走できたのは、お題が素敵だったからと確信している。
12月 300字ss
#Twitter300字ss@Tw300ss
— みやふきん (@38fukin) 2021年12月4日
第82回のお題「箱」
タイトル:「残された黒の巣で」
ジャンル: オリジナル
遅刻ですみません。
また来年も少しでも多く書けたらと思いますし、たくさん読みたいです! pic.twitter.com/Rzkn1Idz4d
今年最後の300字ss。お題は「箱」今回もダークなお話になってしまった。感想をいただけて本当にありがたい。
まとめ&2022年への抱負
9月10月は資格試験勉強をしていたのもあって何も書いていない。
振り返ってみると書いている時期がわりと集中していると思った。
2022年は、1月中には「同じ重さなら」を加筆して小説家になろうサイトに載せたい。
ずっと書こうと思っている二人称小説を2022年度中には書けたらいいなと思っている。
2021年夏以降のアート体験まとめ
3月に最果タヒ展へ行ったあと、しばらく新型コロナウイルス流行で美術展やギャラリーへ行くことをやめていた。夏以降、少し流行が落ち着いたのであちこちへ出かけた。
それを備忘録としてまとめようと思う。
[行った展覧会一覧]
- 上村松園展 京都市京セラ美術館
- ちこちこ小間ごと 山口晃展 ZENBI鍵善良房
- 「はぐれた落ち葉」三宅佑紀個展 KUNST ARZT
- 濱田菜々個展 ギャラリーギャラリー
- 「よみがえる骨董たちvol.4」
- 「紅茶PACKEGE」
- 「十感」堀としかず/hori個展
- フィンレイソン展 京都文化博物館
- 「ひずみ」藤本麻野子個展 ART HOUSE
- 木津川アート2021 木津川市瓶原地区
- 「月を拾った日。」 ぎゃらりぃあと
- 「たなかしんの旅と絵本の原画展」 阪急うめだギャラリー
- 「DREAMS 子供のころ見た世界 鹿島孝一郎 2冊のえほん原画展」 Kara-S
- 「Inheritance of life」宮本佳美個展 イムラアートギャラリー
- 「宮永愛子 公孫樹をめぐるロンド」 京都府立図書館
以下、それぞれを詳細に語る
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7月
上村松園展 京都市京セラ美術館
前期後期に分かれていて、私は前期のそれも初日に見に行った。時間指定券を購入していて、電車遅延で遅れたが、入館できた。人はそれなりに多いが、絵の前でじっくり立ち止まって見る分には困らない程度。今までこんなに多くの松園作品を時系列で見たことがなかったので、その空気感や繊細さに心打たれる。特に印象に残った作品のポストカードをおみやげに買って帰った。特に「人生の花」の構図、作品の纏う静かな空気感が好き。
「上村松園」展が京都市京セラ美術館で - 近代京都画壇を代表する日本画家、約100点から探るその全貌 - ファッションプレス
ちこちこ小間ごと 山口晃展 ZENBI鍵善良房
以前THEドラえもん展を見たときに知った画家。新聞での連載など、京都にゆかりのある作品の展示。とにかく作品数が多い。そしてクスッと笑えるようなユーモアのあるものもあって楽しかった。迫力がありつつも細やかな画風がいいなぁと思う。今年はパラリンピックのポスターも手掛けられていて、それで知った方も多いと思われる。鍵善良房という和菓子屋さんが作られたギャラリーで、入館の際にもらった干菓子が菊の形で美しくべらぼうに美味かった。
山口 晃 -ちこちこ小間ごと- – ZENBI | ZENBI -鍵善良房- KAGIZEN ART MUSEUM 公式ウェブサイト
「はぐれた落ち葉」三宅佑紀個展 KUNST ARZT
小さなギャラリー。画家さんが在廊されていて、お話を少し聞いた。実物を目にしないとわからない描かれ方で、光の当たり具合や、見る角度によって見えたり見えなかったり、違うように見えた。ケント紙にパステルで重ねられた落ち葉。共有できる記憶を呼び出したいという作者の想いが、私のやりたいこととすごく似ていて、私もと口にしたかったけどなぜか出来なかった。
ただ、私の中には共有できる記憶がなかったかもしれないけれど、この場で感じたことは共有できる記憶になると思った。そこには、この場でしか感じられないことが確実にあった。
濱田菜々個展 ギャラリーギャラリー
寿ビルという少し古いビルの中にある小さなギャラリー。窓が印象的。その空間に似合いすぎるテキスタイルインスタレーション。エアコンの風でゆらめくテキスタイルが、なんとも心地よくて、ずっと見ていたい、そこにいたいという空間だった。
9月
「よみがえる骨董たちvol.4」
ART HOUSEさんでの骨董展は過去に2回見ている。作家さんが骨董に細工して作品を作ったり、作品の中に骨董品の素材を活かして入れ込んだりされている企画展。骨董の食器も骨董品店の協力で販売されている。
私がいつも見ている作家さんが参加されていたので見に行く。
DMのビジュアルにもなっている藤本麻野子さんのお皿は本当に美しくて素敵だった。
「紅茶PACKEGE」
こちらも ART HOUSE企画展。作家さんが選んだ紅茶をイメージにしてデザインした正方形や長方形の缶。いろんなのがあっておもしろかった。中身の紅茶も香りが良くて美味。空缶は今は棚に飾っている。
「十感」堀としかず/hori個展
お気に入りの画家さんのひとり。ART HOUSEさんでの個展は2年くらい前から見ている。
今回は10年前の作品を現在の画風で構築し直すという作品があった。10年前の作品も今の作品もどちらも素敵。私は今の作風に変わった時点からしか見てなかったので、新鮮だった。
10月
フィンレイソン展 京都文化博物館
家の壁紙を選んでいる時、カタログでフィンレイソンを知った。北欧のテキスタイルデザイン。その展覧会があると知り、楽しみにしていた。オンライン開催になった講演会もメールで申し込んで見ることができた。フィンレイソンという会社がどんなふうに発展してきたか、その歴史を知る機会となった。2社と合併してより強みを増したフィンレイソン。展示では歴史はもちろん、いろんなデザイナーのいろんなデザインを知ることができて、とても楽しかった。ミュージアムショップはおみやげをどれにするかとても悩んで長居してしまった。2021年1月10日まで京都文化博物館で開催し、そのあと展覧会は巡回するらしい。
11月
「ひずみ」藤本麻野子個展 ART HOUSE
ART HOUSEさんでの個展はなるべく見に行っているお気に入りの画家さん。今回はこれまでの作風をより変化させて進化した感じがすごく伝わってきた。色の微妙な変化や線の細やかさ柔らかさなど作者らしい雰囲気を残しつつも切り取られ、重ねられて再構築されて作られた絵が新鮮だった。
木津川アート2021 木津川市瓶原地区
会期終了の数日前に催しを知って、あわてて出かけた。木津川市自体は実家からそんなに遠くないので知っていたものの、瓶原(みかのはら)地区へは用事がなかったのもあって行ったことがなかった。
今回、行くことができて本当によかった。まず瓶原地区の里山の景観の素晴らしさ、それがあってこそのインスタレーションだと思った。レンタサイクルを一回800円で借りて、およそ3時間で見て回ったが、時間が足りなかったのでほぼ駆け足。スタンプラリーもしていて、なんとかクリアして缶バッジをもらえた。
木津川アートの特色は地域の方の協力なしには行えないところなんだろうと感じた。実際に住んでおられるお宅の一角をアートの場所として提供されていたり、今は使っていない場所だけれどオーナーがその時だけ貸しているような場所もあった。秋の里山を自転車でめぐるということも楽しく、その風土にひとときの間入り込んだアート空間を味わうことは、本当に素敵な体験だった。
12月
「月を拾った日。」 ぎゃらりぃあと
大阪市内中崎町の住宅街にあるコミックアートに特化したギャラリー。私のお気に入りの作家さんYunaさんが出展されることを知り、見に行くことにした。この企画展の出展作家さんはどなたもすてきな絵を描かれていて、見ごたえがあった。初見で特に気になったのはさわさんの「永日」という作品と、月白しきさんの猫の作品。お目当のYunaさんの作品は水彩のにじみの表現が好き。柔らかくもせつない世界観。以前空掘商店街のギャラリーで知った針金鳥さんと横並びでの展示だったのもテンション上がった。私のお気に入り作家さんが申し合わせてないのに横並びって!
「たなかしんの旅と絵本の原画展」 阪急うめだギャラリー
ART HOUSEさんでちらっと見たことはあっても、こんなに多くの作品を一度に見たのは初めてでとにかく圧倒された。そして見初めてわりとすぐに絵を見ていたら涙が出てきて止まらなくなり、マスクの中が涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったので、これはまずいと一度外へ出て、冷静な状態に戻してからまた見に行った。こんなふうに絵に圧倒されて涙がとまらなくなるのは初めての経験で自分でもびっくりだった。
絵本のかわいらしいタッチと旅の絵の神秘的な雰囲気が印象的。展示の仕方もとても素敵で、別世界に遊びに来たかのような楽しさがあった。
「DREAMS 子供のころ見た世界 鹿島孝一郎 2冊のえほん原画展」 Kara-S
スペインで出版された鹿島さんの二冊の絵本の原画展示。細やかな描写とやわらかな色使いで独特の世界観の画風。私は和泉市のART GUSHというイベントで鹿島さんの絵を知ったのだが、その時のモチーフがティーとカメレオンだったので、今回絵本の原画を見ることができたのはとても感慨深かった。そしてギャラリーには、机などアトリエの再現もされていて、イタリアの絵本をもとにしたイタリア語での動画や、現在FM802と共同で制作中であるアニメの試作版が流されていたり、とにかく素敵な空間だった。そして鹿島さんが在廊されていて、来られた方にほんのすこしではあるが絵を説明してくださるという親切さもまた印象的だった。なんとか残っていて購入できた絵本にサイン絵を買いてもらえて、めっちゃ嬉しかった。その絵がまたかわいい!
「Inheritance of life」宮本佳美個展 イムラアートギャラリー
京都丸太町通りに面したガラス張りの白壁のギャラリー。その空間自体がとても素敵だった。そこにわりと大きい作品が並ぶ。写真のように見えて写真ではない、強い光と影を感じる絵。今回作者の宮本さんが在廊されていて、制作過程を聞いて驚いた。黒はいろんな色を混ぜてこの絵のために作った水彩絵の具の黒だということ。滲ませて重ねていくことで作られるということが、見ただけでは想像もつかず、しかしそう聞いてから見ると、その過程の複雑さゆえに表面に現れるシンプルさが際立つのかもしれないと感じた。とにかく強い印象を覚える絵だということは間違いない。阪急うめだギャラリーで見た「数奇景」で印象に残っていたから、今回Twitterのタイムラインに個展の情報が流れて来たときにすぐに気づいて見に行くことができた。
今回のゼラニウムの作品群。作者によるとはじめて生命のある花を描いたとのことで、その力強さには圧倒された。
宮本佳美「Inheritance of life」|EXHIBITION|イムラアートギャラリー(imura art gallery)
「宮永愛子 公孫樹をめぐるロンド」 京都府立図書館
宮永愛子さんの作品もまた最初に出会ったのは前述の「数奇景」だった。
今回の展示はかつて府立図書館がまだ陳列室があり、美術の展示機能を備えていた頃、所蔵されていた宮永東山氏の公孫樹文花瓶、それを起点にひ孫にあたる宮永愛子さんがインスタレーションを展開するのがこのたびの展示。図書館の閲覧室の一角に展示スペースがあることで、どこか不思議な感覚はあった。人々が勉学のために興味のために本を読み、調べている部屋の一角に、時を止めたかのように静かにインスタレーションは置かれている。ガラスでできた氷のような本。変化していくはずのナフタリンで形作られたイチョウは厳かに時代を感じる戸棚の中に置かれていた。どこかそれは時の流れが違う空間にあるように思えてしまう。地下一階にある天井が吹き抜けの中庭、サンクンガーデン。抜水政人作「こもれび」という名の読書する少女像があり、そのまわりあちこちに散りばめられるように置かれているガラス。それがパンフレットに書かれていた文章にある「ひかりのことづけ」だろうか?
「CONNECT⇄_」 and DOMANI @京都 「宮永愛子 公孫樹をめぐるロンド」|DOMANI・明日展 2021-22|DOMANI・明日展
2021年のアート体験をふりかえって
今年もまた新型コロナウィルスの影響を感じた。それまではよく足を運んでいたギャラリーへ、混雑を避けるために行かなかったり、しばらくのあいだは公共交通機関を利用するのが怖くて、マイカーで行けるからとART HOUSEさんだけは行ったりしていた。
秋以降は流行もおさまってきたので、行きたい場所へ公共交通機関を使って見に行くことができた。11月12月はよく動いたと思う。
ギャラリーでは、たなかしんさんの展覧会以外は今まで見たことがある作家さんの作品を目当てにしていたので、新しい作家さんへの出会いというのは少なかった。しいて言うならば、ぎゃらりぃあとさんの企画展くらい。作家一人あたりの展示数は少なくても、取り扱う作家の数が多いので、新しい出会いは生まれやすいかもしれない。
アートフェスということでは、2020年は六甲ミーツアートに行って、2021年はそれよりは小規模な地域性を活かした木津川アートへ行ったので、ふたつをあれこれ比較しながら見て回った。六甲の方は商業的で大規模でスケールの大きさを感じた。木津川の方は瓶原という地域に特化していて、開催する人たちの温かみを感じた。どちらも強い刺激を受けたのは間違いなかった。木津川アートでは、私が知らなかった作家さんも多く、これからも見て行きたい作家さんを見つけられた。
また来年もいろんなアートを体験できるようであればいいな、と思っている。
卵焼きだけは!【今週のお題】お弁当
今週のお題「お弁当」
普段もお弁当は作るのですが、8割が冷凍食品な私です。その中で唯一、好きで毎回作るのが卵焼き。とにかく作るのが好きなのです。
私が卵焼きを作るようになったのは中学生の頃。その頃の中学校は、土曜日が午前中授業でした。午後から部活動があるので、土曜はお弁当の日。私が通っていた中学校は平日は給食でしたから、お弁当は週に一回でよかった。
その頃、私は母の作るお弁当が嫌いでした。イシイのハンバーグ、少し焦げた卵焼き。
だから私は自分で作ることにしたのです。
最初、私の卵焼きはひたすら巻くタイプの卵焼きでした。卵焼き器に生地を薄く流し、弱火で何度も巻くという層の多い卵焼き。味付けは塩と醤油でした。とにかく上手に巻けるように、それだけを練習して上達していったように思います。
それを変えたのは我が子のお弁当で卵焼きを作るようになってから。テレビでふっくらした卵焼きを作る特集を見たからでした。
卵を混ぜ過ぎないで、巻く回数を減らして、中火で作る。少しぷるぷるした感じのある卵焼きになりました。味付けも変えました。だし醤油を使うようになったのです。塩と醤油の時よりマイルドな味になりました。
その卵焼きがこちら↓ 巻く回数は3回。
使っている卵焼き器は卵1個で作れるタイプの小さめのもの。写真の卵焼きは2個使い。
焼きあがったらこんな感じ。
息子が好きかどうかは正直知らないけど、私は卵焼きだけは作るのが好きなのです!
「老い」を生きることについて
ブログのタイトルがいきなりな感じですが、私が利用者さんに言ったことを振り返って考えたくなったので、ブログに書くことにしました。
守秘義務があるので、利用者さんのことは書きません。高齢者であることしか。
私はホームヘルパーの仕事をしています。いつのまにか10年が過ぎました。
その中で何度も聞いてきた言葉があります。
「歳をとるって嫌だね。〇〇もできなくなる」
その〇〇にはいろんなことが当てはまります。
老いていくことでできなくなることはたくさんあります。
私は利用者さんに言いました。
「いつまでも何でもできている方が怖くないですか? 人はみんな老いて死んでいくもの」
そのあとに本当は続きがあるのです。その続きこそが大事なことなので、伝えられなくて、意図が伝わらなかったかもしれないと、とても後悔しています。
「老いて、できなくなってしまったことが多いなかでも、今、できることを精一杯頑張っている姿に、私は力をもらっているのです」
私は高齢者を支援する仕事をはじめから志願したわけではありませんでした。
社会福祉の仕事をすると決めた時は、障害者の支援をしたいと思って、ずっとその仕事を探していました。
でも、登録していた福祉人材センターから、高齢者を中心とした仕事があるからどうか?と紹介してもらった時に、やってみようと思った、そのことが高齢者支援に関わるきっかけになりました。
高齢者の状態は決してよくなるわけではない。よくて維持。むしろ悪くなっていくことの方が多い。その中で寄り添っていくことのモチベーションがなにかと問われたら、その人の生き様に触れられる瞬間を見出せることかもしれません。老いていく今において、どう過ごしていくか。それを垣間見ることで、私はその人から力をもらっている気持ちになります。
ちゃんとそれを伝えられるようになれたら、と思うけど、なかなかタイミングがないのです。
だからかな、私は「すごいですね」を連発して言っているかもしれません。そして今まできちんとされてきたからこそというようなこともよく言っています。それは家の中を見ればすぐにわかりますから。
私もいずれ老いていく。
できていたことができなくなっていくことを、その時ちゃんと受け止められるのかな?と思いますが、私自身もその時にできることを精一杯頑張る自分であれたらな、と思います。
「老い」を生きることについて
ブログのタイトルがいきなりな感じですが、私が利用者さんに言ったことを振り返って考えたくなったので、ブログに書くことにしました。
守秘義務があるので、利用者さんのことは書きません。高齢者であることしか。
私はホームヘルパーの仕事をしています。いつのまにか10年が過ぎました。
その中で何度も聞いてきた言葉があります。
「歳をとるって嫌だね。〇〇もできなくなる」
その〇〇にはいろんなことが当てはまります。
老いていくことでできなくなることはたくさんあります。
私は利用者さんに言いました。
「いつまでも何でもできている方が怖くないですか? 人はみんな老いて死んでいくもの」
そのあとに本当は続きがあるのです。その続きこそが大事なことなので、伝えられなくて、意図が伝わらなかったかもしれないと、とても後悔しています。
「老いて、できなくなってしまったことが多いなかでも、今、できることを精一杯頑張っている姿に、私は力をもらっているのです」
私は高齢者を支援する仕事をはじめから志願したわけではありませんでした。
社会福祉の仕事をすると決めた時は、障害者の支援をしたいと思って、ずっとその仕事を探していました。
でも、登録していた福祉人材センターから、高齢者を中心とした仕事があるからどうか?と紹介してもらった時に、やってみようと思った、そのことが高齢者支援に関わるきっかけになりました。
高齢者の状態は決してよくなるわけではない。よくて維持。むしろ悪くなっていくことの方が多い。その中で寄り添っていくことのモチベーションがなにかと問われたら、その人の生き様に触れられる瞬間を見出せることかもしれません。老いていく今において、どう過ごしていくか。それを垣間見ることで、私はその人から力をもらっている気持ちになります。
ちゃんとそれを伝えられるようになれたら、と思うけど、なかなかタイミングがないのです。
だからかな、私は「すごいですね」を連発して言っているかもしれません。そして今まできちんとされてきたからこそというようなこともよく言っています。それは家の中を見ればすぐにわかりますから。
私もいずれ老いていく。
できていたことができなくなっていくことを、その時ちゃんと受け止められるのかな?と思いますが、私自身もその時にできることを精一杯頑張る自分であれたらな、と思います。
最果タヒ展(心斎橋PARCO)へ行ってきました
最果タヒ展が大阪にも巡回してきた。
2021.03.05〜03.21の16日間。10:00〜20:00
心斎橋PARCOの14階イベントホールでの開催。ホール前には大きく看板の展示。
入口でチケットを購入。チケットは800円。ミニ本付きの1800円の2種類。ミニ本は表紙の色が3色から選べる。内容は同じ。私は灰色を選んだ。
入口を入ってすぐのこの展示に圧倒された。
「ループする詩」と名付けられたインスタレーション。円環状の内側に書かれた詩はどこから読んでもいいし、どこで読み終わってもいい。この中で永遠に言葉が存在し続けている。そのことに気づいて、ものすごく幸せな気持ちになった。ことばのなかにずっといられる。
「詩と身体」のインスタレーションで縦と横の直線の内側や外側に書かれた詩もまた同じだった。どこからでも読めて永遠に終わらないことばでありつづけられる。この形が私には何かの碑のようなものに思えた。
この空間の壁面には「詩の存在」と名付けられた透明なアクリルで作られた詩が物体として影を落としていた。ことばでありながらかたちでもあるのが面白かった。
次に興味を持ったのは「詩っぴつ中」。ケースの中に入ったスマホのメモの画面で自動で詩が入力されていく。止まったり、文字を削除したりしながら完成される詩の経過を見れるというのは、思考を外側から見ているようで興味深かった。
少し話がそれるが、私自身もスマホのメモで140字小説を書いている。思いついたことばを入力して保存して、それをカット&ペーストしたりしながら書いている。何を加えて何を削除するか、ことばをどう選ぶか、同じようで作者ごとに違うのだろうな、なんて想像していた。
「いまなん詩゛?」では、壁面にプロジェクターで投影される言葉が、一部だけ変わり続け、ずっと同じだった部分もまた変わっていくことで、刻々と変わっていく意味が面白い。
「座れる詩」と円形のベンチに書かれていて、どうやら詩の朗読が流れているらしいのはわかっていた。展示スタッフの方にどうぞ座ってみて下さいと促されても、ちょっとためらっていたけど、勇気を出して座ってみたら、びっくり。
どこから音が出てるの、これ。骨伝導のような感覚になった。腕から聞こえる?
ずっと聴いていたくなる心地よさ。これは青柳いづみさんによる朗読とのこと。
「詩になる直前の、心斎橋パルコは。」のコーナーでは、壁面に詩がいくつかあり、コーナー全体を覆い尽くすように、ことばのモビールが吊るされている。見ている人の動きで風が起こって、モビールがゆれて、回転して、黒が白に反転している。
それを眺めるのは、ことばを頭に入れて、それが流れていき、波長の合うことばは残ったりしながら、また違うことばに触れていくような感覚だった。
縦長の空間におびただしい数のことばが満ちていて、読んで、読んで、また読んで、と繰り返していくことが、とにかく幸せだった。
展示スペースの出口に、最果タヒさんがことばを寄せていた。
読まれることで詩になる。そんなふうなことばだった。
読み手が意味を作る。その個人的な特別さこそが愛おしいと私は思う。
会場を出て別の目的地へ歩き出そうとして、心斎橋パルコの壁面にあるポスターに気づいた。
展示会場だけでなく、阪急電車ホームでの広告の詩など、詩を日常に見える場所に展示されていることが素敵だと思う。阪急電車の広告が展示されている駅に行かなかったので見れなかったのだけど、Twitterでその様子を見て知ることができたのは嬉しかった。
今回の展示は、本当に素晴らしいものだった。普段、わずかながらことばを紡いでいる者としては、こんなにことばに満ちた空間に身をおけることはない、と思った。インスタレーションの力はすごいな。
最果タヒ展の公式サイトはこちら↓