今月のお酒 (2020年6月)
今月のお酒は、新潟県小千谷市にある高の井酒造(株)の純米吟醸酒「伊乎乃(いおの)」です。
ブログに書くの、今月もギリギリになってしまいました。
私が飲んだのは2019年8月製造のもの。飲み口まろやか。後味はスッキリしています。ピリッと感も少なめで、私は飲みやすかったです。
高の井酒造さんの公式サイトではなぜか取り扱いのないお酒。
ネット通販にはあるようです。
この通販サイトでは褒めまくっています。
上記の通販サイトだけでなく、他にも取り扱いあると思います。
(上記の生産年は古いかもしれないです)
高の井酒造さんのサイトはこちら↓
もはや、私はずっと生協の宅配カタログに載っているお酒しか買っていません。
バイヤーさんが毎週載せてくれる中から、いいな、というのを選んで、1〜2ヶ月に一本くらい購入しています。今年も載っていたな、伊乎乃(いおの)。
堺アルフォンス・ミュシャ館へ行ってきました!
緊急事態宣言が解除され、美術館の臨時休館も終わったところが増えてきました。まだ、県外へは行けませんが、行ける範囲で楽しもうと行ってきました。
数年前に一度行ったことがある小さな美術館です。1999年に与謝野晶子の資料とミュシャのコレクションを展示する場として堺市立文化館ができたようです。2015年に「さかい利晶の杜」ができて、与謝野晶子資料はそちらへ移され、ミュシャのコレクションだけを展示するようになり、堺アルフォンス・ミュシャ館という名称もできたようです。
宣言解除後とあって、新型コロナウィルス対策もされていました。
チケットカウンターの並び列には感覚を開けて並ぶための足型マークがありました。
また、大阪府内で始まった追跡システム(スマホアプリ)のためのQRコードもカウンター側に掲示されていました。
館内はすべてエレベーター移動なのですが、エレベーターが小さいので、一度に乗れる人数が制限されていたり、エレベーター内には立ち位置のための足型マークがありました。
私が行った時は受付カウンターには誰も並んでませんでした。まだまだ人は少ないです。
展示室には私たちの他に一人いらっしゃるだけで、ゆったり見れました。どうしても見る速度が違ってしまうので、見ていらっしゃる場所をひとまず追い越してしまって、後から戻って見たりして、なるべく人に近寄らないスタンスで見ることができてホッとしました。
さて、ここからが本題。
今回の展示は「ミュシャと挿絵の仕事」ということで、「白い象の伝説」の挿絵をミュシャがしていて、その下絵の展示が中心です。
「白い象の伝説」はジュディット・ゴーティエというフランスの児童文学作家が書いた作品で、Amazonで電子書籍として新訳版が出ています。ミュシャの挿絵も電子書籍で見れます。
https://www.amazon.co.jp/dp/B077X7GRT3/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_MvV0EbSC34SH5
ミュシャの物のかたちのとらえかたの精密さ、光と影の表現の美しさなど、着彩がわずかな絵だからこそ感じられるものがありました。やっぱりすごいな、と思います。
展示ではちゃんとどんな場面であるか、絵の横に物語の概要が書かれたボードが展示されているのもよかったです。とても興味深い内容で帰宅してから本がないか、調べました。日本では2005年に発行したようです。
他には、他の作品の挿し絵が少しと、雑誌の表紙などの展示が中心でした。下絵と作品を比べられるように展示してあるのもよかったです。
廊下には「トリポリの姫君イルゼ」のパネル展示がありましたが、パネルということでちょっと飛ばし気味にざっくり見ました。全図版を収録した「アール・ヌーヴォーの華」という書籍があるようなので、図書館で予約をして借りてみようと思います。
「ジスモンダ」のポスター(レプリカのレリーフ?がエレベーター前に展示)など有名な作品も途中にありました。ウミロフ・ミラーと蛇のブレスレットと指輪は常設展示かもしれません。数年前に来た時も見ました。
↓こちらは3階の写真撮影スポット。
だいたいどこでも一緒には撮らないスタンスです(笑)
ミュージアムショップでも、新型コロナウィルス対策。見本に番号が振ってあって、それを受付カウンターで伝えて商品を出してきてもらうシステムです。見本には触れません。
なるほど記憶力との闘いでもありますが(笑)、数多くの種類を買うわけではないなら、大丈夫でしょう。
3月に小さなギャラリーに行って以来、二ヶ月ぶりに絵を見ました。やはり、うっとり幸せな時間は、いいものですね。
今月のお酒(2020年5月)
今月のお酒は 島根県安来市の青砥酒造の「蒼斗七星 特別純米65 木槽搾り」。
薄いブルーの瓶に入ってます。ラベルも素敵。和紙っぽい。
アルコール度数は17度とちょっと高め?
フルーティーな飲み口で、ちょっと後味があっさりしていると思っていたけど、開けてから日が経つごとに後味も濃くなってきたような気がしている。気のせい?
このお酒、島根県産の佐香錦という酒米を100%使用していると書いてあります。
佐香錦(さかにしき)という酒米の名前は初めて知りました。
平成15年に島根県で誕生したブランド酒米だそうで、酒造り発祥の地とされている佐香神社に由来して命名されたらしいです。
島根県内のいくつかの酒造会社が佐香錦を使って日本酒を造っているようです。
「蒼斗七星」のシリーズは2009年に誕生したとのこと。
青砥酒造のサイトに書いてありました。
蒼斗七星とは|こだわりの日本酒 蒼斗七星|日本酒・島根の地酒|青砥酒造
商品ページですが、ここでは購入できません。お問い合わせのみなので、名前で検索して各種通販で購入。
蒼斗七星 特別純米65 木槽搾り|日本酒・島根の地酒|青砥酒造
これも生協の宅配カタログで購入。私はそこでしか購入していないです。バイヤーさんがいいのか、素敵なお酒を企画してくれていて、感謝です。
今月のお酒(20年4月)
新潟銘醸株式会社
「越の寒中梅 純米吟醸 ゆるやか搾り」
瓶に惹かれて購入しました。
春になったら飲もう!
そんな気分になる素敵な酒瓶です。
お味はすっきりフルーティー。
好みの味です。お米の味があとに残ります。
新潟銘醸株式会社の
越の寒中梅 純米吟醸ゆるやか搾りのページ↓
http://www.niigata-meijo.com/item_info.asp?itd=92
私が購入した瓶は特別仕様なのかしら?
真夜中から遠ざかって
ほぼ一週間くらい前から、書きたい気持ちはあった。きっかけはたぶんラジオへの投稿で、「私の青春」というテーマについて書いたことだろうと思う。大学の部室で先輩や後輩といろんな話をして日が暮れていき、部室の窓から見える高速道路の車の光の連なりを、きれいだと思ったあの頃が、私の青春だというような内容だった。
大学で文芸部に入った私は、ほぼ同時期にクラスメイトに誘われて、同人サークルにも入った。文芸部でも同人サークルでも文章を書き、コピー本作りを目の当たりにした。素敵な世界だと思った。文芸部の先輩たちに教えてもらって部誌(コピー本)を作り、同人サークルで出会った人に誘われて同人誌即売会に行くようになった。急に世界が広がった気がして、楽しくて仕方ない日々だった。
大学四回生の頃、もうすぐなくなってしまうこの環境がさびしくなり、自分でもサークルを作ろうと思った。同人サークルで親しくなった人と一緒に漫画雑誌で会員を募って、小説とイラストのサークルをはじめた。
最初の3号まではコピー本だった。文芸部直伝の作り方で作ったけれど、ページ数が多くて苦労した(20年以上たった今でもばらけたりせず、形が残っているのはすごいと思う)。
コピーは大量。真夜中にスクーターを走らせてコンビニまで行っていた。コピーの途中、店員さんに紙の補充を頼んだこともよくあった。紙の束をもらったら、側面から息を吹きかけて空気を含ませてからトレイに入れたりもしていた(そうすると紙送りがよくなる気がして)。製本作業も深夜だった。幼なじみを巻き込んで、早朝まで作ったりもした。紙を折って貼ってステープラーでとめて、表紙の紙を貼り付ける。単純作業は嫌いではなかった。
もうそんな真夜中の時間は私にはない。
結婚前に同人サークルはやめていた。
出産後は子育てのために朝型の生活になった。真夜中の町をスクーターで走ってコンビニまでコピーをしに行ったり、会誌の発送のために中央局の郵便ポストに投函しに行ったりもしない。
(そこへ投函すればより早く届くと思っていた。また不足する切手を中央局にある切手自販機で買って、その場で貼り付けたりもしていた)
すべて私の記憶の中、素敵な過去として、引き出しにしまわれている。ふとした瞬間に引き出して中を眺めては、懐かしく思う。
それが今回だったという、それだけの話。
歳を重ねると思い出話が増えていくものなのかもしれない。
聞かされる方に、またかと思わせないように、たまに、がいいのだろうと思う。
これ、たまに、になってますよね?
言葉のちから〜読む想像力から考える
とある朝のこと、Twitterでフォローさせてもらっている方のRTから、言葉の想像力について考えた。
本を読めない子どもに漫画ならと思ったが、それも難しく、今は動画だというようなツイートだったように思う。
そこから考えたり、感じたりしたのが以下になる。
しばし、私の考えや感じたことにおつきあい願います。
想像力というのは経験の積み重ねでもある気がするのです。
小説の面白さというのは、視覚、聴覚、触覚などの感覚から得た情報を文字による言葉で表現して(描写)、読み手が過去に経験したかもしれないそれらの記憶を呼び出して、あるいは経験してなくても似たようなことを想像させ、なおかつ登場人物の感情の流れや考えを追体験できることにある気がする。
物事の説明で、普段使わないような難しい単語が出てきて、パッと理解できないこともある。辞書を引いてそれをやさしい言葉で置き換えて理解する。理解したことが経験になる。その難しい言葉が、その物事を端的に表したものだと思えば、そっちを自分の中に残していってもいい。
言葉から頭の中で置き換えて味わうことの醍醐味は、一瞬でそこへ跳べることだと思う。言葉だけがあれば置き換えられる。おのおのの流れる時間で読めるから、数分間だけでもいい。
すごいことだと思う。
それが本のいいところだと思う。漫画も含めて。
漫画も想像する楽しみのあるものだと思っている。コマの中には描かれたもの以上のものがあって、想像することで広がる面白さがある。
漫画の絵が持つ力は視覚的に瞬時に理解できるすごさを感じる。しかし思いのほか漫画は言葉の力が生きている世界だとも思う。擬音語擬態語で表現される効果音なんかが特に。
等しく時間が流れる動画は、時に苦手だと感じる。時間がもったいない、端的に言いあらわせるだろう。私の中で、ことばの音が鳴りひびく時間が、読む時間と乖離しているから、よけいにそう思うのかもしれない。
朗読は、ことばの音を感じるライブみたいなもので、音声読み上げとは違う。込められた感情を感じとったりすることで、作品のことばの内側にあるものが表現されているように思うから。
視力の恩恵で私は読むことができている。視力を失った時に、まだ私はことばを紡ぐことができるだろうか。視覚的に頼りすぎた言葉の使い方が、音だけで紡ぐことができるだろうか。
ことばの音が私の中から、口に出したとたんに消えてしまう恐怖。ことばを記憶でつなぎとめられずに、機械に頼って何度も録音と再生を繰り返しながらであれば、できるのかもしれない。
すぐに戻ることができる文字による言葉と、音による言葉は、私の中ではやはり何かが違っている。音の言葉が旋律になって、記憶に残るほどの力を持つなら、また違うのだろう。
文字の言葉が記憶を呼び出して、音の言葉が呼び出せないわけはないのに、長く保持できない。もちろん私だけの問題というの、大いにありうるけど。
だって昔の文字のない時にも、口伝でつながれた物語はあったのだから。
でも、私は、文字による言葉が好きだから、できる間は文字による言葉で物語を紡いでいきたい。